哲学やら人文系の本には基本的に科学的な根拠やエビデンスはない。論を補強するための根拠として一つや二つの例が示されることはある。でもその例は当然、科学的な方法で検証されたものではない。それはお前の近くでたまたまそうだっただけだろう、と容易に突っ込まれるものだってある。
最近?流行っている自己啓発本・ライフハック本・その他で、科学的な根拠に基づく!とか〇〇大学式!、みたいなものはよくある。そのような本に載っている根拠、エビデンスは一応きちんとしている。
となると、哲学の本なんてエビデンスもないし、ただ自分の主張を書きちらかしているだけだとして、根拠のしっかりしている科学的な見地に基づいて書かれている自己啓発本のほうがよいと言うこともできる。
でも、エビデンスがないのがいいっていう世界もあると思う。哲学系の本*1は純粋に論理だけで議論を組み立てていく。そこに統計やら実験やらはほとんどない*2。だから、ある一定の普遍性を持っているし、一つ一つの議論のパーツを切り取っても意味を持たせられる。
例えば、今読んでいる『暇と退屈の倫理学』でも、標準的な現代人の感覚からしたらいつの人だよというレベルのパスカルの議論を持ってきたりする。あるいは1930年代のラッセル『幸福論』も引いてきたり。これらが色あせないのはなぜか?もう少し砕けて言えば、ビジネスマン*3が数千年前に書かれた『孫氏』(紀元前500年ほど)を読むのはなぜか?あんなものに”科学的”な根拠、エビデンスなんて一つも載っていない。
それはひとえに強靭なロジック、論理の上に構築された議論であるからである。構成がはっきりしているからこそ、「この部分は確かにそうだが、結論としてのあの部分は間違っている。だから私はそのように考える」といった形で、議論の一つ一つのパーツを取り出して吟味したり自分の論を組み立てる参考にしたりできる。あるいはロジック、骨組み、構造、何でもいいがこれがはっきりしているので応用が利く。ビジネスパーソンが孫氏を仕事の文脈に応用したりするのはその例だろうと思う。
これがエビデンスに寄り掛かった論理薄弱な(=理論が間違っているといってもいいか)自己啓発本だと、エビデンスが間違っていたらすべてが総崩れになる。そしてすぐ棄却されて本のことを誰も覚えていないし、燃やされる(いったい誰が根拠が間違っていたと分かっている自己啓発本を死ぬまで読み続けるだろうか)。
例えば意志力。どこぞのYouTuberもこれ見よがしに紹介していたり。
『パースペクティブス・オン・サイコロジカル・サイエンス』誌に発表された最近の研究では、バウマイスターが承認した実験を用いて、2000人超の参加者を対象にバウマイスターの結果の再現を試みた。ところが、自我消耗の証拠は認められなかった(英語論文)。
さらに、『プロス・ワン』誌掲載の2つの研究でも、当該実験の結果を再現できなかった(論文①、②)。バウマイスターは、フォローアップ実験の一部で用いられた方法論は不適切であるとして反論を唱えたが(英語論文)、いまや複数の科学者が自我消耗の理論を疑っている。
意志力界隈でどれだけのコンテンツが生産され、そして無駄になったか。
何を書いているのかわからなくなってきた。要は、エビデンスに乗っからないと書けない論はもはや論ではなく、ロジック・論理だけで戦おうとしている哲学まわりの本は読んでいて楽しいということだ。*4さらに、その中でも時の試練を潜り抜けた古典・名著と呼ばれるものはさらにすばらしい。
まだ前頭葉の機能が完全に戻っていないリハビリ中の身であるために長い記事をきちんと論旨明快に正しい日本語で書き下すことができないことが非常に歯がゆい。そのうち前頭葉が復活してきたらこのくらいの、1,500~2,000文字くらいの記事は推敲なしで一気に書けるようになるだろうか、そうなってほしい。「昔は書けたものだ。」・・脳の力が落ちているが、まだ若いので鍛えなおせると淡い期待をいだきつつ閉じよう。*5
*1:人文科学も含むか。人文科学の「科学」って何なんだろう?
*2:心理学とかはあるか。個人的に心理学は嫌いである
*3:何気なく書いたが、今はビジネス「パーソン」と書かないとだめですか?そうですか気を付けます
*4:そんなことを言おうと思って書き始めたのか?
*5:ビジネススクールはこの世からなくなっていいと個人的には思っている。あれは学問をする場ではないし、ただのエリートビジネスパーソンの社交の場、友達づくりの場、箔付けの場でしかないと思っている。経営関係の議論の何が苦手って、天才的な経営者がある特殊な条件下で発明したモデルを事後的に整理・ラベリングして、わかりやすく一般化してさも私が考えた的な風に「事後的」に理論を構築しているように見えるから。もし「理論」があるなら、未来を予想してみろよといつも思う。「この理論に基づけば、かくかくしかじかという事例が発見されるはずである」、それこそまさにいわゆる科学的なものの考え方じゃないの?そして理論に反して、かつ説得力のある事例が提出されるとその理論は棄却される…。だから、それは「理論」じゃないって常々思っている。そのため常に経営系の本は気を付けて読んでいるし、ましてやその1,000倍の希釈版である自己啓発本はなるべく手に取らない。注でこの量は一体なんなのか。あくまで暴論、いつかもう少し整理されるべき。ただしビジネススクールで教えるものの中でも、統計と会計、ファイナンスは有益だと思う。全部が意味がないと思っているわけじゃない。