まだ10%ほどしか読んでいないので私の抱えている退屈を「理解する」ために役に立つのかどうかは、何とも言えない。
この地獄のような退屈さをどうしたらいいんだ本当に。これは男性の更年期障害の始まりなのか?いやまだ40にもなっていないし、更年期障害は早いのではないのだろうか。
『暇と退屈の倫理学』からフーンと思ったところを引用。
パスカルの「人間の不幸は人間が部屋でじっとしていられないがために起こる=退屈に耐えられないことがすべての不幸の源泉」論(大意)を引きつつ、こんなことを書いていたりする。
つまり、気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険があるとか、なかなかウサギに出会えないなどといった負の要素がなければなければならない。
この負の要素とは広い意味での苦しみである。苦しみという言葉が強すぎれば、負荷と言ってもいい。気晴らしには苦しみや負荷が必要である。(中略)つまり、パスカルの言うみじめな人間、部屋でじっとしていられず、退屈に耐えられず、気晴らしを求めてしまう人間とは、苦しみをもとめる人間のことに他ならない。
※下線は本文中の傍点に代えて私が引いた
「人間は考える葦である」のパスカルが退屈について考えてくれていたとはありがたいことだ。さらに追ってニーチェやハイデガーも出てきたりするらしい。
n=1の再現性ゼロの自分語りでしかない自己啓発本を読むよりも、哲学めいた本のほうが考えるきっかけをくれると思うよ。たった10%読んだだけでも、「本当にそうなのかパスカルよ」とか、「確かにこういうときはあのときはそうだった違った」などと自然と考えてしまう。軽薄な本との1行あたりの濃さが違う、これですらまだ本気の哲学本ではないのだから、本気の哲学の論文や本は読むのがどれだけ大変なのだろうと思う。
話が逸れた。続きを読むか。